2012年3月11日星期日

将棋や囲碁で、例えば 大昔の名人と、今の時代の名人が、対戦したら、どちらが強い...

将棋や囲碁で、例えば

大昔の名人と、今の時代の名人が、対戦したら、どちらが強いですか?

その大昔からの現在に渡る長い間の知見がプラスされるというのでしょうか、

より研究された見識を持てる訳だから、

現代の名人のほうが、有利となりますでしょうか?


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現代の方が強いでしょう。



土台と成る人口が違います。

囲碁のほうは外国人も含めた人口に成って来ています。



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囲碁の歴史において史上最強候補として主に以下のような人物が挙げられる。



本因坊道策

本因坊丈和

本因坊秀策

本因坊秀栄

本因坊秀哉

呉清源

坂田栄男

小林光一

趙治勲

李昌鎬



それぞれその時代に於いて圧倒的な成績を挙げた棋士である。おおよそ囲碁理論に於いては未だ研究が十分に進んでいるとは言えず、新しい定石が誕生している序盤はともかく、中・終盤に於いては現代の棋士たちよりも江戸時代の棋士たちのほうが勝るとの意見も多く存在している。(ただし現在の囲碁が持ち時間に追われてのことに対して、江戸時代の囲碁は時間無制限であるということに注意。)



この中で最強の呼び声が最も高いのは道策であろう。丈和曰く「道策先生と十番やったら最初は新しい定石のおかげで5勝5敗くらいには持ち込めるだろう。しかし次の十番では道策先生が新しい定石を憶えられるので一番も取れないに違いない」と。小林光一曰く「道策先生の棋譜を並べていて、これは十目くらい道策先生が負けるだろうと思っていた所、ヨセに入ってあれよあれよと言う間に逆転してしまう。」と。もちろんこれには先人に対しての敬意を表した部分もあるだろうが、道策の御城碁で負けたのが二子局のみ、しかもその二子局で僅差に詰め寄ったと言う実績は最強を裏付けるのに十分であろう。



丈和は、力は古今無双と謳われ、江戸時代には道策と並んで碁聖と称された。幻庵因碩などの強敵を捻じ伏せての名人就任が評価されている。しかしその名人就任に当たっての策謀が不人気につながり、最強に推す声はあまり強くない。



秀策は御城碁19連勝と言う実績に加え、その人格に対する人気から最強に推す声も多い。それに加え、漫画『ヒカルの碁』にて名前が知れたことにより更にその傾向は強まった。道策・丈和・秀策の三人に対して棋聖と尊称している。



秀栄・秀哉両名人に関しては、同時代の同格の棋士たちを打ち負かした経歴はあるものの、名人位に就いて以降は対局が極端に少ないために評価を保留する声も多い(これは別に両名人に限ってのことではなく、名人になって以降は「お止め碁」といって対局をあまりしないのが慣習であった)



呉清源は新しい囲碁の時代を切り開いた立役者であり、木谷実・岩本薫・雁金準一・橋本宇太郎・坂田栄男・高川格ら超一流棋士との十番碁でことごとくこれを退けた。この実績から史上最強に推す声が強く、「昭和の棋聖」と呼ばれる。ただ趙治勲は、やや逆説的な意味ながら「呉清源師はそれほど強くなかったのではないか」とも言っている(コミ碁の時代に対応できなかったという意味が込められている)。



坂田栄男は呉清源の後の碁界で、その全盛期には7冠王、年間30勝2敗、29連勝などの記録を残し、棋士の間でも「坂田は遠くなりにけり」と言われるほどの圧倒的な強さを示した。また数々の妙手や、高川格、藤沢秀行、林海峰らとの幾度もの名勝負でも強い印象を残している。



小林光一・趙治勲の両者は激しいライバル関係にあり、二人でタイトルを独占するほどの勢いを示した。しかし共に国際棋戦での実績が少ないのが難点である。



李昌鎬は国際棋戦の全てに一回以上優勝するグランドスラムを達成するなど圧倒的な戦績を残し、現代の棋士の中では史上最強候補に挙げられる数少ない棋士の一人であろう(2004年からは不調であるが)。韓国では李昌鎬を300年に一人の天才と呼んでいる。300年とは道策以来との意味であろう。



しかし、「最強は誰か?」と言う質問に対しては「やってみなければ解らない」と答えるしかない。

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