よく囲碁と将棋の指手の可能性の数を比べたとき、着手できる場所(目・枡の数)が囲碁は19×19=361で、将棋は9×9=81である事から、
囲碁の方が圧倒的に多いという話しを耳にしますが、囲碁は一手毎に打てる目の数が減っていくのに対して、将棋はそのような事は無く、むしろ終盤に近付くほど、双方の持ち駒も増えていくので着手できる数が増えて行き(しかも終局までの手数は理論的には限りがないので)、トータルすれば囲碁よりも将棋の方が多いのではないかと思いますがいかがでしょうか?
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それは多分その通りだと思いますが、まともにその話を進めてもいっても、水掛け論にしかなりません。その手の数値を出してくる人は、極端な概算をしているのです。理論的でも何でもありませんよ。
また、その比較がもし正しくても、そんなことは、たとえば対戦ソフトの可能性を考える上での、ひとつの要素に過ぎませんし、すべてを場合を調べることなど誰もしないとおもいます。
なぜ極端な概算というかというと、たとえば手順前後というものがありますが、囲碁も将棋も何手か進むと、同じ形になってしまうことが非常に多く何手か先の場合の数は激減するそうです。そのような効果については全く考えられていないのです。
ボナンザにみられるように将棋で全幅探索がある程度可能なのは、その効果が無視できないほどあるからです。また、全幅探索しなくても、十分に強く出来るかもしれません。
囲碁ソフトが弱いのは有利不利の判断が将棋より難しいので局面の評価ができない、ろくな評価関数をつくることができない、という事だと思います。
ですから、対戦ソフトの強くするためには、場合の数ではなく、評価の困難さが大きな要素なのです。
将棋の場合駒得という指標がありますし、囲い、それに対する攻めという概念がありますが、囲碁には確定地くらいしか、分かりやすいものがありません。
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様々な理屈を理解するほどの頭はないのでそれについては反論はできませんが、とりあえず現実問題として将棋はすでにコンピュータが女流棋士と並ぶほどの強さになってるんですよね?
対して囲碁はアマチュアの初二段程度がいいところで、プロなんかとやらせたら9子置いても勝てないでしょう。
とにかくパターンをシラミツブシに読むしか能のないコンピュータの性質から考えれば、より強くなれるものほどパターンが少ないという理屈にどう考えてもなるはずですが。
将棋は確かに最終的に盤から駒が減っていって、指せる全パターンは増えるのかもしれませんが、結局考える必要すらないパターンもそうとうあるんだろうと思うので、実質的なパターン数は見た目ほど多くないとかなんじゃないでしょうか?
まあ何が言いたいかというと、囲碁に例えるなら自陣を埋めて一眼にしてわざと打ち上げさせれば、取らせた跡にまた石を打つことができ、それをお互いが繰り返せばパターン数だけならほぼ無限になります。
しかし勝負としては全く無意味な事で、考える必要がありません。
それと同じ事なのではないかと。
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囲碁も将棋も、理論的には膨大な数になります。
しかし、実際には打ち手や指し手は、かなり限られて
きます。
将棋は、角道をあけるか飛車先をのばすかの二手が
プロの対戦では指し手のほとんどを占めます。
また、囲碁でも四隅を打ちあってから、四辺へと展開
しますので、同様にプロではだいたい打ち手が決まって
います。
それからの局面にしても、ほぼ必然手の連続で、時々
運命の分かれ道で長考をしているそうです。
県代表の人にあれこれ訊ねたら、かなり着手は狭いよ
うに思うと言われましたので、プロはより選択肢が少な
いようです。
ですから、ほぼノ―タイムで何十手も打ててしまうので
しょうね。
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いいところに目が行きましたねぇ笑
厳密に言うと、囲碁は361ではない気がします。上下左右対称なので。
実は将棋も、凄いですよ。囲碁にはかなわないでしょうが。
最初は合法手は30通り程度ですが、局面が進むにつれて平均80手くらいになります。
80×80×80×・・・として、80を十乗した数の局面を調べる(つまり10手先を正確に完璧に読み切る)には、現在のコンピュータで300億年かかるそうです。
それが100手近くとなると・・・
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囲碁の場合、コウや、抜き後の手段(石の下など)を考えないとしても単純に、361×360×359×358×。。。とやっていくと、とんでもない数字になります。一説に拠ると宇宙に存在する全ての素粒子の数よりも大きくなるそうですよ。囲碁にも着手禁止点はありますが将棋は初めから半分の駒づつもって交互に動かすものですし一手目にせよ途中にせよ360も指し手が考えられますか?
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